 |
たかねのひとりごと
vol.29:高い嶺 たかね(屋号)
2006/1/19更新
少し遅くなりましたが今年もよろしくお願いいたします。
昨年はたかねでも創業当初から見守り続けていた祖母が天寿をまっとうし、また新たな時代の第一歩を歩んで 行くこととなりました。
創業当時、祖父はまだ国鉄に勤めており、父とその兄弟で地方の農家へ出かけ芋を買い、それらを蒸かして商売をさせていただいのが始まりでした。
兄弟が多く、その当時の事を良く父から話を聞いていました。時を同じく祖父が定年を迎え、たいやきを始めたと 聞いております。又、屋号の“たかね”は山梨県昇仙峡出身の祖父と若くして甲斐駒の雪山で亡くなった叔父など から高い嶺ということで“たかね”と命名されたと・・・。
父は物書きで新聞記者をしておりましたが結婚を機にたかねへと。父も他界してしまいましたが、昔“記者からよく たいやき屋になったネー”と話した思いがありますがいつも“まー色々な”とかわされ、朝・夕食も一緒に食べた記憶はあまりありません。子供も考えるもので、ならば“店に行けば会える”なんて思ってよく店の周りをうろうろしていた 思い出が、でもしょせん子供なのでかなり邪魔になっていたような感じではなかったのではないかと。 しかしこの当時から、かき氷をかいたりあんみつを作ったりと(もちろん自分で食べたいからですが)店の事を 少しながら覚え始めていったように思います。親からいつも“やりたいならやりなさい”と。この答え、始め安易に考え なんでもやっていいんだと思っていましたがすぐに誤ったと思い知らされることに。パッと思って始めた事、始めたはいいが辞める時、それは子供ながらに結構困る。自分でやると決めた以上それなりにやらないと辞められない。 始めからここまでなんて思ってやるわけではないが有り余る体力と探究心がそーをさせていると思うくらい、次から 次へと。子供のころから知らず知らずの間に・・・。こーいってはなんだが、風呂なしアパートに長く住んでいた。しかし必ず夏と冬に家族で旅行へ。夏は山か海、冬はスキー。毎年である。兄とよく話す。“あんなことできネーヨナ、ふつう家買ったりサー、でもそれよりいろんなとこ行けたしあの人スゲーヨ”父はエンジョイ派だったのであろう! むかし使っていただろうカメラはたくさんあった。自分で現像もしていた。オーディオも自分たちも使えたサンスイ なんかもあった。そのむかし自分で撮ったのであろうプロ野球選手の写真も。もちろん自分が書いたと思われる記者時代のスクラップブックも。わたしたちをおさめた8ミリもたくさんあった。そんな父だからは母は苦労したと思われる。

今、兄は祖父と同じ道へ。駅の駅長をしております。妹も店を少し手伝った後、自らの夢へと邁進しております。 私も和菓子の学校に行かせていただいた後、都内の和菓子屋へ、そして今。母は店には出ていませんが社長業の傍らいろいろと チャレンジしているようで!! 三鷹のおやつ! 地元のおやつ! いつでも買えるおやつ!! たかねは三鷹の方々に愛していただきたいお店であり続けていきたいと思っております。これからもよろしくお願いいたします。
※元旦から青森の湯治場へ行って来ましたがその話をと思っていましたがペンが違った方向へ。その話は次の機会にでも。
|
 |